思い込みを離れてみる ― 真理はいつも新しい姿でやってくる

人は誰もが、「自分は正しい」と思って生きています。
しかし、その“正しさ”がいつの間にか自分を縛る鎖になっている。
気づいている人がどのくらいいるでしょうか。
「こうでなければいけない」「これは間違いない」「すっとこうしてきた。正しかった」。
そう思い込んでいると、世の中が変わったときその変化についていけなくなってしまいます。
現実世界はすごいスピードで変化しているのに、真実を見落としてしまう。
気づけば自分が孤立したり、仕事でも家庭でもうまくいかなっていく。
そんなとき「気づき」が得られればいいのですが、多くの人は神様のメッセージを受け取り損ねてしまうようです。
神様は常に働いておられます。しかし人間が神様の働きを“自分の常識”という小さな枠で測ってしまうのです。
よく「見えないからと言うだけで存在しない」と決めつけるのは誤りである、
むしろ「目に見えない世界にこそ、真実がある」と言われます。
神の御働きも、霊の存在も目で確かめることはできません。
しかし信じる心とは“見えないものを信じ、感じ取ろうとする力”なのです。
人生の中で起きる出来事にも同じことが言えます。
予期せぬ病気になった、仕事で失敗した、人に裏切られた。
そうした出来事を、私たちはすぐに「不幸だ」「悪いことだ」と決めつけてしまいます。
しかし、そこに神様の深い御計らいがあります。
一見つらい出来事の中に、魂を成長させる“磨きの光”が隠れているのです。
信じる心は、結果を早く求めることではありません。
「なぜ今この経験が、自分に与えられたのか」と受け止め、考えること。
自分が知らず知らず、作ってきた「思い込み」を離れたところに、神様の真理は新しい姿で現れます。
その時こそ、あなたは「神様に導かれて生かされている」という実感に包まれるでしょう。
固定観念を外して、素直に「なるほど」と受け取る心。
それが神様に愛され、運命をひらく第一歩になるでしょう。